生きてれば嫌なことのひとつやふたつ、いや、10000や20000あるものです。それは人が成長していくための試され事、バランスなのではないでしょうか。
こんなことを言うと絶対嘘だ!と突っ込まれると思いますが・・・私は人前で話すことが死ぬほど嫌だったんですよ(笑)
小6のときのことです。全校生徒の前で何かを発表する場があって、先生が学級委員だった私を指名したのです。それが嫌で嫌で・・・断固拒否したのです。
「なんで嫌なん?品川君ならできるよ。やってみたらいいじゃん」と言われたのですが、それでも私はかたくなに嫌だと拒否しました。
なにがそんなに嫌だったのかというと、恥ずかしかったのです。保護者もいるしうまくできる自信がなかったんです。
結果、同じ学級委員だった女子が代わりに発表することになりました。
当日を迎えて、なんだか気持ちがモヤモヤしてました。みんなが自分のことを横目で見ているような気がしました。
お前なんでやらなかったんだ?
女子にやらしてカッコ悪いな
そんな風に心の中で笑われているような気持ちでした。私は列に並んで、女子の発表が終わるまで顔を上げることが出来ませんでした。
女子も嫌だったろうに・・・僕がやりたくないと逃げたから彼女は発表することになってしまった・・・彼女にとても悪いことをした。
でも彼女は逃げなかった。いや、僕が先に逃げてしまったから、彼女は逃げたくても逃げられなかったんだ、などとずっと考えていました。
胸を張って生きろ なんて言いますが、あの時の私は胸を張れませんでした。集団の中でひとり、背中を丸めて顔を隠すように下を向いていました。
逃げたらどうなるかを学びました。
胸を張って生きるということは、大通りを姿勢を正してまっすぐ前を向いて堂々と歩くということだと思います。
犯罪者は、逃亡するときに必ず最初の交差点を左に曲がると言います。もしも何かから逃げなければならないような人は、大通りをまっすぐ歩いては行かずに人目に付かないような路地に入るはずです。
そしてさらに細い道に入り、人ひとり通れないような建物の狭い間をぬって逃げようとするでしょう。
でもその先にあるのは、行き止まりです。行き止まりのことを英語でDEAD ENDと言います。直訳すると死んで終わりです・・・。
逃げたら、その先に開けた大通りなんてないんです。道はどんどん狭くなり、その先は行き止まり、最後は追い詰められることになります。
常に人の目が気になり、人から隠れるようにして生きなければならなくなります。
私は幼少期の失敗を後悔し、自分の中の制限的パラダイムを打ち破りました。今では3000人の前で話してますし、ラジオでも物怖じすることはなくなりました。
私のように、子供の時に何か嫌なことから逃げたことがある人はたくさんいると思います。それは子供だから良いんです。
でも大人になってからも嫌なことがあるとすぐに逃げ出す人がいます。その先は行き止まりだというのに、逃げ切れると思っている愚か者です。
逃げて逃げて逃げ続けた人生、そんな人は死ぬ前に一体何を思うのでしょう・・・。死が近づいていることを認識した時に人は必ず自分の人生を振り返るはず。
自分の人生はどうだっただろうか
何かを成し遂げられただろうか
誰かを幸せにできただろうか
何人の人が自分の死を悲しんでくれるだろうか
何人の人が見送りに駆けつけてくれるだろうか
子ども達には大切なことを十分に教えてやれただろうか
私ならそんな風に考えると思います。だからその時後悔したくないしやり残したまま逝くことはできません。
毎日好きな食べ物ばかり食べてたら身体を壊します。梅干しや納豆やブロッコリー、野菜が嫌いという人も居るでしょう。でもたいてい嫌いなものは栄養価が高いですよね。(私は全部好きですが)
時々は嫌いなものも食べる。つまり、時には嫌だなと思うようなことでも逃げずにチャレンジすることが大切だと思います。
やってみたら必ず出来るし、その先に待っているのは、自分が勝手に想像してるような失敗や恥辱などではなく、賞賛や栄光が待っています。今までにない自分に成長できるはずです。
嫌いなものほど栄養価が高い
これは私の信条です。
逃げるのも自分の選択、恐れずにチャレンジするのも自分の選択。自分の人生は100%自己責任。
DEAD ENDになりたくないので、私は逃げない人生を歩んでいきます。